私は『メール』があまり好きではない。

昔、流行った『チャット』も好きではない。
自分の考えを瞬時に表せる『会話』。
直接会って話す事が望ましいが『話す』事が一番好きだ。
『メール』は『書置き』などの仲間と思っている。



メールなどやり取りは、タイムラグが発生する。
自分の考えを一度文章化しなくてはならない。
状況に応じて書き換えたりは手間の程、極まりない。
『会話』『対話』『雑談』『会議』どんな場でも、
“直接話す”方がいいと思う。
『身振り』『手振り』『表情』それが加わっただけでも
一つの言葉も無限の意味を持つ。
声に強弱がつくだけでも違う。
私はまだ、『電話』の方が好きだ。
皆メールを多用するが、正直、私は面倒だ。
『電話』なら5分で済むものが、
『メール』だと短文が何往復もして
そのたびに『送受信』にタイムラグが発生し
倍の時間がかかる場合もある。
手間だと思わないのか?
でも、ここは自分が1・2・3歩と譲って
俺が面倒臭がりということにしよう。
(いや、まぁ面倒臭がりなんだが…)
それでも、話す事は出来る。
自分の意見を持って大量に言葉を並べる事が出来ると思っている。
今の世の中、『人との対話』が苦手な若者が多い。
高校生に会って、まだ小学生の方が自分の事を話せると感じた。
小さな子供は真っ直ぐこっちを見て投げかけてくる。
つい最近まで10代だった自分でも、こんな気分にさせられる。
“彼ら”真っ直ぐに見ない。
都合が悪くなると話を切ろうとする。
巻き返しを図らないのだ。
その場から逃げようとする。
心は逃走、身体は暴力にでるだろう。
実に嘆かわしい。
自ら“口”を用いたのに相手の力量を測れない。
その為に小さなプライドが『恥』を憶え逆上。
実に、実に嘆かわしい。
そんな君達が雑談でも、アーティストや歌手などを評価するかの
ような口ぶりで話すのを見ていると吐き気を催すよ。


結局は何が言いたいのかというと、
『ふれあい』『探求』が欠落しているという事。
一つの物事を深く深く知ろうとする事
知るためにはネットでも本でもいい。
“人に聞く事”は恥ずかしい事じゃない。
知識の伝承はすばらしいことだ。
得た知識も人と共有する心も大事だ。
それが『ふれあい』と『探求』


さぁて、俺も誰かと話したいな…
まぁ、暇なんだ。