いやはや…

今週末まではこのTOPで行きます。
それはさておき、最近「名言」「格言」に異常な程、
凝っております。
(本当に異常なほどに…)
自分は昔から『言葉』の持つ力とか“言霊”?
そういったものに強く惹かれていました。
「自分もいつか、人を動かせる言葉を練れたらなぁ…」と
よく詩を書いてたものです。
そこで昔は物書きになりたいとか思っていました。
気づいたら絵も描くようになり、
さらに気づいたら映像をとっていました。
でも、自分が本当にしたい事はなんなのか?
一生のテーマです。
コレが解らないから人間は動き続ける。
自分に合った仕事、夢に見た職業についた人間でも
目標を持ち続けるでしょ?
それは、自分が最後に何をしたいのかが
実は見えていないからではないでしょうか?
かの漫画の神様「手塚治虫」先生も最後の言葉に、
『隣に部屋に行く、仕事をする、仕事をさせてくれ』と
残しています。
彼は、類まれな才能を遺憾なく発揮してさまざまなことを
成し遂げました。
そんな彼でもまだ、自分のしたかったことを残せなかった。
伝えたい思いを全て書き終わる前に果ててしまった。
自分も実は“やってみたい事”は見えているけど
“やりたい事”は見えていないんです。
だから人間は探求して深めて極めるんです。

でもたまに凄い人がいます。
彼は死に際も笑顔だったと聞きます。
彼の言葉にこんなのがあります。
『なるようになる。心配するな』
楽観的に捕らえる事も出来ますが、
実はそうじゃない。
自分がこの台詞をいうと投げやりに聞こえなくもないが
彼がいうとまるでいくつも先を見据えているかのよう…
そういう人格者だったってことです。
そんな彼の名前は「一休和尚」
“とんち”で有名な彼です。
彼の生き方は自分もそうだし、過去の偉人達にも見えない
生き方を感じます。
“のびのびとやりたい事をやる”そんな感じです。
和尚だけに“悟り”とでも言いましょうか?
逆に深く考えずに、その時その時に自分が置かれた状況で
動き、人を動かし、流れを作る。
こんな事は肝のどデカイ人間か、威厳溢れる人とかの行動です。
でもそれをさらっと行う。
時代的に坊様の言葉は従いやすいし、いいですね。
話がずれてきましたね。


まぁ、なんというか自分も自分の言葉
作品で人を動かせれれば素敵だろうなと、
常々考えております。