はははっ!馬鹿だなぁ…

ダチョウ倶楽部のように明るく出来ません。
虎政でございます。


『虎政』と打つ時に実際、[とらせい]と打たないと
変換が手間です。読み方は[とらまさ]なんですがね。


まぁ、そんな前フリ前枠なんチャチャっとして
つくづく自分が馬鹿だなぁと思います。
まぁ、親にすら「生まれつきの馬鹿」と呼ばれるんで
どうにもこうにも捻くれますよ。


皆様は“人を騙した事”はございますか?
簡単なもので“嘘”です。
虎政は物凄い回数の“嘘”を重ねてきました。
具体的に何回かなんて解りません。
『おまえは今まで食べたパンの枚数を覚えてるか?』
(言いたかっただけです。)

まぁ、“人を騙す”という事は少なからずの悪意があります。
時として“優しい嘘”なんてありますがアレは今は無しで
考えていただきたい。


ところで皆様は“人を騙す”以前に何を先ず
騙しているかお気づきですか?
(まぁ、私の解釈なんですが…)
“人を騙す”ってのは自分の心を先ず隠さなくちゃ出来ない。
罪悪感があればなおの事…


そうです“嘘”を付く時、最初に先ず、
『自分』を騙しているのです。
「この嘘はついていいんだよ」と心を甘やかします。
本当はそこに何も無いのに?
あたかもそこでは本当の出来事のように…
そこでもう自分は心の中で自分に嘘をつき
自分を正当化して騙しています。


そうなると騙し続けた自分は、騙す事、
騙される事になれてきます。
なれてくると、どうなるでしょう?
罪悪感も感じずに平然と騙します。
そして人の嘘を見抜きます。
でもそれを見抜いているので冷めたように対応します。
そうなるともう貴方は“人じゃない”


虎政はもう“人じゃない物”になっているかも
しれませんね…

でも、最近その“人じゃない物”の影から
“何か”が声を出しているのです。
虎政はそれが恐ろしいです。
今の自分がその“何か”と出会うと
消えてなくなってしまう気がするからです。
今、“何か”と表現していますが…
虎政はその正体を知っています。
でも認めたくないのです。
“何か”に会えば現在の自分の全存在が否定されます。
きっとボロボロに涙を流して後悔の念に苛まれるでしょう。
それを味わうのが怖いから?
自分が変わってしまうのが怖いから?
その目の前の“何か”と真っ向から戦う勇気なんて
持ってないというのを認めるのが怖い?


全部怖いです。


ええ、恥も隠さずに怖いですよ?
怖いものの無い人はいるんですかね?
自分は怖いものに出くわさないなら
どんな卑怯な手段も使うと思いますよ?
だから自分も人も沢山騙して生きてきたんですから。

でもいつからなったか解らない“人じゃない物”
それでいるのも疲れました。
まだ20年しか生きていない小僧が何を言うかと
思うでしょう?
別に生きているのに疲れた訳じゃないんです。
死ぬのなんて真っ平です。
ただただ“嘘”を平気でつく生活は
平凡で平和で争いとか無駄に思えるんですが、
それ故に億劫で退屈で…虚無。
“何故、人は争う”?
“何故、人は愛する”?
“何故、人は生まれた”?
“何故、こうも考える”?

沢山の“何故”の答えを求められないんです。
だって“嘘”ばかりついていて、自分の答えすら
信じられないんだから…
冷めて良い様に解釈してもそれは「その場しのぎ」
本当の答えなんてはなっから考えてもいないんです。
それを「考えました」と自分を騙して…
世の中には“理屈”や“理論”で解明できないものが
沢山あります。
でも、“人じゃない”虎政の動きは“理屈”と“理論”で
予想も出来ます。



さて、やっと言いたいことです。

毎日ギャーギャー騒いで楽しく過ごすのは好きですが、
その上“リスク”は一切背負いたくない。
変化が訪れるのも嫌い。
対応が面倒くさいから?
訪れる出来事に“フィルター”をかけられるんなら、
“楽しい事”だけがすり抜けてきてくれるようにしたいもんです。

そんな虎政なんですが、
本当は面倒くさくて、怖くてやりたくもないんですが、
“人に戻りたい”と思っています。
“人じゃない物”の影で一生懸命囁いている。
“何か”に出会ってこようと思います。
絶対、後悔とかします。
絶対、痛い目見ます。
でも…“何故”の答えとかが
考えなくてもわかるようになります。
“理屈”や“理論”では説明のつかない事になります。


本当に不安と恐怖でイッパイです。
ちゃんと“何か”に出会えるかな?
目前に「やっぱりやめよう」「今度でいいよね?」とか
考え無ければいいんですが…
そういうの振り切ってみましょう。
さぁて、虎政は変われるでしょうか?




自問自答の延長みたいなもんでしたね?
でも大事な内容です。